さくら散っても立ち止まらず。

詩「桜」と散る手紙。
君野てを 2022.03.27
読者限定

暖かくなってきましたが、皆さんのところはどうですか。
こちらは庭に温かい日が差して、春の風に花が揺れまくっています(笑)
そして本日は桜の日ですね。ということで桜の詩を書いてみました。
桜に限らずどの花もそうだとおもうのですが、花は散るじゃないですか。それって儚さ切なさに例えられますけど、花にとっては生きる手段なんですよね。咲くということは華やかでいいこととして捉えられていますが、散ることや枯れることもいいこと、その先を生きる為の努力、のような気がします。とこの文章を書きながら思いました。花としては、ということで。

話は変わりますが、共感って救済なんだなぁって改めて思いました。
ポジティブな共感はもちろんうれしいものだけど、ネガティブな共感は穴に落ちた心を救い出してくれる手のような感覚になります。共に感じるというのは心を広げてくれます。余裕を持たせてくれます。ネガティブな人に出会ったとき、もしくは自分がそうであるとき、その状態を否定しないで、肯定していきたいと思いました。それが届かないときもあるかもしれませんが、その人の耳に届いているのであれば記憶の隅に、その言葉は生きているので。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、205文字あります。

すでに登録された方はこちら

誰でも
お知らせ
誰でも
春に咲く雪は心の憂いをやさしく撫でる。